東大阪市鳥居町    鳥居自治会

鳥居地区のお地蔵さんと地蔵盆その昔     鳥居地蔵尊運営委員会

【伝聞:東野 昇】
 地蔵盆は全国的に行われている風習ですが、滋賀県、京都府、大阪府、福井県若狭地方、神戸市など近畿地方を中心とする地域で特に盛です。
  現在のお祀りしている地蔵菩薩は、中河内郡枚岡村大字出雲井を流れる下六川(ゲーロクガワ)の川掃除の時、「半身地蔵尊」と思われる右側の方形の石が川底から掘り出されました。このお地蔵さんをその川の堤、下六堤(ゲーロクヅツミ)にお祀りしたのがはじまりです。  中河内郡枚岡村(大字出雲井、大字豊浦、大字額田)は、稲作が中心の村でした。水田に水を引き込むため、水を各田んぼに割り当てる配水管理に香を使った香盤時計(粉末状の香を渦巻状にしき、火を着け、香が燃える速さで時間を計る)に反あたりの分配時間を決めて一定の間隔に名前札を立て順番に水を引くのどかな時代でした。  水を大切にするため、田植えが始まる前に水源・水路および河川の掃除をします。下六川の川浚えのとき、人の手で加工されたと思われる石が川底から掘り出されました。上流から大雨で流され、増水した川の流れで削られてはいますが両端の形から上流の川堤に祀られていた半身地蔵尊と思われます。 川から掘り出されたお地蔵さんを当時の出雲井村の村外れの結界として、東高野海道沿いの下六堤の上に生駒山からの「日の出」が見え朝日があたるよう東向きに祀られました。 大正8年ごろ傷みが激しくなった地蔵尊の祠を枚岡村大字出雲井に居を構える(本家)東野徳松氏により丸仏地蔵尊と新しい祠が建立されました。この時以降、川から掘り出された半身地蔵尊と丸仏地蔵尊2体が祀られています。 現在の祠は、東野徳松氏が建立されてから、80年後の平成13年5月に発起人の呼びかけで寄付を募り、再建され、毎年8月24日に、地蔵菩薩の縁日として地蔵盆(お祭り)が行われています。 お地蔵さんのお参りは、《オン、カー、カー、カー、ビサンマエイ、ソワカ 》と三度となえてお祈ります。原語では"Om hahaha vismaye svaha "尊いお地蔵さまにすがらせてもらいます。お地蔵さま謹んで申し上げます。と言う意味らしい。 「子供の守り神」として信じられており、よく子供が喜ぶお菓子が供えられています。 地蔵菩薩は、子供を守ってくれる仏様です。 昔は、お地蔵さんにお参りすると、午前・午後の二回に、供養菓子のお下がりが「おやつ」として振舞われました。お菓子欲しさに子供が集まってきた時代でした。 現在も、お参りいただいた1年間のお賽銭と地蔵盆の寄付金から供養のお菓子を小学生以下の子供さん(約400名)におさがりとして振舞っています。 お菓子を持ってお地蔵さんへお参りするこどもの姿が微笑ましく映っています。





※下六(ゲーロク)川(ガワ):お地蔵さんの北側を流れている農業用水路(現在は道路の下)
※下六川堤(ゲーロクヅツミ):下六川に沿って東西にあった堤(お地蔵さんはこの堤の上にあります。)

室町時代:河内国河内郡平岡郷
江戸時代:河内郡出雲井村、豊浦村
明治22年(1889):河内郡枚岡村大字出雲井、大字豊浦
明治29年(1897):中河内郡枚岡村大字出雲井、大字豊浦
昭和14年(1939):中河内郡枚岡町大字出雲井、大字豊浦
昭和30年(1955):枚岡市出雲井町、豊浦町
昭和42年(1967):東大阪市鳥居町、鷹殿町

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